皆様、こんにちは。

北瀬コウです。


春季東北大会も閉幕し、一旦一区切り付いたということで、今回は「ちょっとした自慢話」と題して、高校野球関連のお話をさせて頂きます。

決して私自身の自慢話というわけではありませんが、人の自慢話が嫌いな方はブラウザバックをしていただいて構いません。


それでは、まいりましょう❗️


⚫︎秋田県潟上市天王


私のプロフィールにも記載しておりますが、私は秋田県潟上市の出身です。

地図で見ますと、ここですね。👇


※引用元:潟上市HP
https://www.city.katagami.lg.jp/gyosei/gyoseijoho/shinogaiyo/index.html


人口約3万人、市域面積が県内最小の97.72平方キロメートルの小さな町です。

具体的に言いますと、私はこの潟上市の「天王」(てんのう)という所の出身で、中学も天王中を卒業しているですが、実はこの天王中、高校野球界では凄い選手を輩出しているんです。


では、どのような選手が輩出されているのか、ご紹介していきましょう。


⚫︎No.1 小林 遼


※引用元:高校野球ドットコム
https://www.hb-nippon.com/players/2371


・投打:  右投左打

・守備:  捕手

・選手経歴:天王中(秋田潟上シニア)
      仙台育英(宮城)
      富士大(岩手)
      ENEOS(神奈川)


現役時代は、強肩強打の捕手として活躍しました。

仙台育英では、上林 誠知(中日)や熊谷 敬宥(阪神)、馬場 皐輔(巨人)の同期であり、2年生の夏、3年生の春と夏の3度甲子園に出場し、3年生の春の選抜の2回戦(対 創成館(長崎))では、ライトスタンド中段へホームランを放ちました。


因みに、私は偶然の賜物でこの試合を現地で観戦することが出来ました。

ちょうどライトスタンドで観戦をしていたので分かるのですが、このホームランは打った瞬間には、打球がライトの頭の上を超えており、「これは絶対入るな」と確信出来るほどの強烈な一発であったことを今でも覚えています。


富士大では、1年生の秋から正捕手を務め、6度の全国大会出場、4年生では主将も務め、大学日本代表にも選出されました。

また、ENEOSでは、2022年の都市対抗野球大会で優勝を経験しました。


ENEOS時代の小林 遼
※引用元:週刊ベースボールONLINE
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=059-20190318-01


現在はENEOSを退職し、2024年4月から千葉ロッテマリーンズのブルペン捕手として加入し、ロッテの投手陣を支えるスタッフとなりました。

高校3年の夏の甲子園で対戦した、小島 和哉(浦和学院→早稲田大→ロッテ)と再会し、現在はチームメイトとなったことは、私にとっても非常に感慨深いことです。


2013年の夏の甲子園では、11-10の死闘を繰り広げた。
(投手は小島、打者は小林。)


再会を喜ぶ小島(左)と小林(右)
※引用元:パ・リーグ.com
https://pacificleague.com/news/2024/7/10032449


再会を果たした二人、今度は仲間としてチームの日本一を目指します。


次に、誰もが知るあの選手です。


⚫︎No.2 吉田 輝星


※引用元:スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/08/22/kiji/20220822s00001002401000c.html


・投打  :右投右打

・守備  :投手

・選手経歴:天王中
      金足農
      日本ハム(ドラフト1位)
      オリックス


野球界隈でこの名を知らない人はいないでしょう。

2018年、100回目の節目を迎えた夏の甲子園に現れた、高校野球界における伝説の投手です。


最速150km/h(当時)の球速に加えて、揚力(上向きにはたらく力)によって下から上へと浮き上がるノビのあるストレートで、三振の山を築き上げました。

また、牽制、クイック、フィールディング、打者やランナーに対する間合いの取り方なども非常に優れており、クレバーな投球術も持ち合わせていました。


高校入学前は、硬球に慣れるために一時的にシニアに所属していた時期もありましたが、吉田は軟式出身です。


2015年、天王中のエースで主将の吉田は、部員僅か15人のチームを全県少年軟式野球大会でベスト4へ導いた。
※引用元:LINE NEWS
https://news.line.me/detail/oa-sakigake/78554588546c


金足農での活躍については、皆様もよくご存知でしょうし、私も将来的にもっと細かく深掘った内容を執筆したいと考えておりますので、今回は割愛します。


ドラフト1位で入団した日本ハムでは、一軍成績が2019年〜2023年の間で64試合に登板し3勝9敗、そのうち2022年に51試合登板でキャリアハイを達成しましたが、全体を通してなかなか成績が振るわず、2023年末にトレードでオリックスへ移籍しました。


移籍1年目となった2024年では、50試合に登板し4勝0敗14ホールドを記録し、キャリアハイを達成しました。

しかし、更なる活躍が期待された2025年は右肘のトミージョン手術によって、治療とリハビリでシーズン登板は絶望的となりました。

プロではキャリアハイを達成している反面、苦しんでいる時期もありますが、2026年はなんとか復活を遂げてもらいたいですね。


また、2024年末には潟上市のふるさと応援大使に就任し、地元のPRにも力を入れています。


※引用元:読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/20241230-OYT1T50102/


現在は弟の大輝君が、金足農のエースで主将として活躍していますが、大輝君のご紹介は以前の記事をご覧いただければと思います。


どんどんまいりましょう❗️


⚫︎No.3 登藤 海優史(みゅうじ)



・投打 :右投左打

・守備: 遊撃手・三塁手・二塁手

・選手経歴:天王中(秋田北リトルシニア)
      仙台育英(宮城)
      駒澤大(東京)


仙台育英が東北勢初の全国制覇を達成した2022年、当時1年生からベンチ入りしていた走攻守三拍子揃った内野手です。

正確には、地方大会ではベンチ入り、甲子園ではスタンドから歓喜の瞬間を見届ける形となりましたが、1年生の秋からは再びベンチ入りし、チームの主力として活躍します。


翌年の2年生の春の選抜ではベスト8、主に代走の切り札や守備固めとして途中出場していましたが、同年夏の甲子園では堅守を買われ、背番号が二桁ながらスタメン出場も果たしました。


※引用元:日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202308110001495.html


チームは2年連続で夏の甲子園の決勝まで勝ち進み、慶應義塾(神奈川)に2-8で敗れ夏連覇とはなりませんでしたが、吉田 輝星に続いて甲子園決勝の大舞台に立ちました。


残念ながら、高校最後の夏は地方大会の決勝で聖和学園(宮城)に5-8で敗れ、甲子園出場は叶いませんでした。

現在は駒澤大学へ進学し、更なる飛躍を目指して大学野球生活に励んでいます。


因みに、三兄弟の末っ子で、長男の乙矢さん(JR秋田)は秋田西の出身、つまり私の後輩にあたります。


最後は、4季連続の甲子園出場に向けて、高校最後の夏に臨むこちらの選手です❗️


⚫︎No.4 伊藤 英司


※引用元:日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202310270001256.html


・投打:右投右打

・守備:遊撃手・二塁手

・選手経歴:天王中(秋田北リトルシニア)
      青森山田(青森)


2017年の夏以来、甲子園出場が無かった青森山田でしたが、中学時代に全国制覇を経験したメンバーが主体となって、昨年から再び甲子園に戻ってきました。


先程の登藤君と似たタイプの俊足巧打、そして堅守の内野手で、1年生の秋から二塁手でレギュラーを掴み、翌年の春の選抜の1回戦(対 京都国際(京都))で試合を決めるレフトへのサヨナラタイムリーヒットを放つ活躍を見せました。


24年の春の選抜で、サヨナラタイムリーヒットを放った伊藤
※引用元:朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASS3P5W17S3POXIE001.html


ベスト4まで勝ち進んだ同年夏の甲子園では、背番号14で控えにまわり、出場はありませんでしたが、秋からは背番号6を背負い再びチームの主力となりました。


また、先程の登藤君とは秋田北シニア時代のチームメイトであったことや、吉田 輝星の弟の大輝君と小学校時代にバッテリーを組んだ経験があることも、彼の特徴であります。

2024年春から3季連続で甲子園に出場している青森山田、果たして4季連続出場はなるのでしょうか❓

伊藤君も最後の夏へ挑みます❗️


以上、天王中出身の名のある野球選手4名のご紹介という形で、私の自慢話とさせて頂きました❗️

少しは地元のPRにもなったでしょうか❓


彼らの共通点は、「天王ヴィクトリーズ」という、小学生の少年野球チームに所属していた、ということです。

私の同級生にも、ヴィクトリーズ出身者がいます。


天王ヴィクトリーズ
ユニフォームデザインは私の小学生時代から変わっていない。
※引用元:BALLPARK AKITA
https://ballpark-akita.com/gakudo/2020Memorial07top.html


本当は私も、ヴィクトリーズに入りたかったのですが、日々の親の送迎が負担がかかる、ということで断念となり、小学校時代は遊びの野球で技術を磨きました。

なので、私は周りの人たちよりも下手クソだったのです。😭


少し話が逸れましたが、自分の先輩や後輩にこういった選手がいることを誇りに思います。

今後も、天王から素晴らしい選手が出てきてくれることを願っています❗️


最後までご覧いただき、ありがとうございました❗️











⚫︎No.5 北瀬 コウ



・投打  :左投左打

・守備  :一塁手

・選手経歴:天王中
      秋田西


たまたまテレビで野球アニメ(漫画)「MAJOR」を観たことがきっかけで野球に興味を持つも、親の送迎等の懸念から天王ヴィクトリーズに入れず、友人と遊びで野球に打ち込み、技術を磨きました。


天王中から野球を本格的に始めましたが、一塁手ではなく、外野手としてプレーすることになりました。

その理由は、一塁手志望であったにもかかわらず、新しく購入したグローブが外野手用だったからです。


2年生の秋からベンチ入りしていましたが、引退まで控え選手でした。


秋田西へ進学後は、約2ヶ月の間、帰宅部でした。

しかし、周りからの誘いがあったこと、帰宅部であるにもかかわらず定期テストで赤点を取ることが恥ずかしかったため、入部を決意しました。


今度こそ一塁手用のグローブを新調し、練習に打ち込むも、打撃から守備から話にならないレベルの下手クソぶり、結果として3年間で公式戦の出場はありませんでした。


2年生の秋からベンチ入り、3年生の春は体育の授業で右足首を捻挫したためベンチ外、高校最後の夏は実力でベンチ外の予定でしたが、別選手の怪我によって入れ替わりでベンチ入りを果たしました。


高校通算の打席数は定かではありませんが、通算安打数は僅か6本、凡退のほとんどが三振であったため、付いたあだ名は「三振王」でした。


恥ずかしいーーーー‼️‼️🫣